ブラジル日系移民の歴史

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サンパウロのリベルダーヂにある「ブラジル日本移民史料館」を、15年ぶりに再訪しました。展示内容については何も覚えていませんでしたが、入り口の風景だけは記憶の片隅にあり、なんとも言えない懐かしさがこみ上げてきました。今回は展示内容を忘れないように、忘備のためにブラジル日系移民の歴史を記載しますね(笑)

そもそも、日本人がブラジルに移民するようになったきっかけは、100年以上前に遡ります。ご存知のとおり、ポルトガル統治時代のブラジルは、三角貿易を通じて西アフリカからの奴隷を多数買い入れました。奴隷の労働力に頼っていたコーヒー農園は、1888年の奴隷解放以降、新たな労働力をアジアにも求めるようになります。一方、日本は急速に進む近代化に伴い、人口増加、農地改革、土地の増税課税により、農民の多くは土地を失い失業者が増えました。さらに、1894年に日清戦争で勝利しましたが、その戦争負担から重大な経済危機に直面しました。そして、余剰する労働者人口の受け皿を探す日本と、コーヒー農園における安い労働力を求めるブラジルのニーズが合致し、日本からブラジルへの移民ルートが確立しました。

移民当初はコーヒー農園での労働に従事した日系移民でしたが、コーヒーでお金を蓄え次第に独立して農業を営むようになり、日系コロニーを築いていきます。「ウンドウカイ」が開催されたり、日本語の地域新聞が発行されたりしました。この時代に、日系移民はブラジル農業に革命的な進歩をもたらします。それは「集約農業」です。もともとブラジルでは「生産を増やす=ジャングルを切り開いて耕作地を増やす」という図式で成り立っていましたが、集約農業により「土地あたり生産性を高める」ことに成功しました。これが、ブラジルにおける日系人の評価を高めた最大の功績と言えるでしょう。

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その後、第二次世界大戦を迎えますが、ドイツ、イタリアとともに枢軸三国という扱いだった日本は、ブラジルとの国交が断絶されます。枢軸国人の資産凍結令、枢軸国語の使用制限、外国語新聞発行取締令など、日系移民にとってはまさに受難の時でした。ちなみに、当初からこの「日系」という名称が使われていたわけではありません。戦前は「在伯邦人」という呼称を用いていましたが、第二次世界大戦を境に移住者たちは帰国の夢を捨て、在留ではなく在住という意識を強く持つようになったそうです。そんな意識変化もあってか、日系人と他民族との結婚も増加傾向にあります。第二次世界大戦前の1908-22年においては僅か1.9%でしたが、戦後の1958-62年においては21.5%、そして1988年には45.9%と、徐々にブラジル社会への同化が進んでいきました。日系三世、四世と代を重ねるごとに、顔立ちこそ日系の面影はありますが、日本語はほぼ理解しなくなり、中身は100%ブラジル人!という印象です。

そして、戦後に日本からブラジルへの移民が再開され、農業ではなく様々な職業に就くようになります。また、1970年代になるとブラジル好景気に乗じて、日系企業のブラジル進出ラッシュがはじまります。しかし、1980年代になるとブラジル経済は凋落し、日系企業の撤退が相次ぎます。さらに日本の高度経済成長期と重なったため、日本⇒ブラジルという人口の流れが、ブラジル⇒日本という流れに一気にスイッチすることになり、「在日ブラジル人」コミュニティが日本の各地で見られるようになったわけです。

2016-04-02 | Posted in BlogNo Comments » 

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